直線上に配置
世 代 世代名 示寂年月日 寺籍 転住地
寺院名
世  代
寺籍 転住地
寺院名
世  代
寺籍 転住地
寺院名
世  代
開 山  羊堂專鷟 正保2年11月13日 433
654
祐性院開山
福田寺開山
465
730
総穏寺4世
長久寺開山
638
338
東京
永源寺開山
心月院開山
2 世 白雲鯨天 延宝 5年7 月 8日
3 世 單山刹傳 元禄15年5月15日
4 世 如山碧眞 宝永 6年 6月 5日
5 世 鳳巖鐵嘴 享保 3年10月 3日 432 慶雲寺 5世
6 世 黙照智存 宝暦 4年 2月20日
7 世 盛山存榮 宝暦 9年 7月13日 596 永福寺 9世 626 見政寺 8世
8 世 秀峰全榮 寛政 4年 4月 8日 446 正常院 5世
9 世 大心屠龍 寛政 8年 7月20日 641 寶泉寺 9世
10世 法山知圓 文化 5年 7月 8日 517 曹源寺11世 606 流泉寺 9世
11世 希云旭龍 文化12年10月14日 450 普門院中興15世 471 禅源寺22世 666 永泉寺46世
12世 忍能活眼 文政12年11月12日 623 歓喜寺17世
13世 源山慈門 弘化元年12月17日 572 寶臺院 6世
14世 一透關昶 文久元年 7月17日 460 長勝寺11世 467 般若寺26世 638 永源寺12世
15世   中興 智戒圓通 明治 8年10月28日 474 寺19世 492 洞雲寺 6世 512 天龍寺15世
16世 玉寶琢玄 明治33年 3月14日 512 天龍寺19世 637 泰宗寺16世
17世 無外亮山 不   詳 604 林昌寺 9世
18世 祖山關宗 大正 6年 7月16日 460
567
長勝寺14世
少林院 8世
467
576
般若寺29世
正壽寺12世
526 法勝寺 9世
19世 喚道大喜 大正 5年 6月 3日 570 高善院 8世
20世 大成瑞賢 明治40年 5月20日
21世
中興
大仙霊功 昭和 5年 6月30日 477 福壽寺20世
22世 大岳利雄 昭和52年 6月20日
23世 大徹智岳 平成 5年11月 6日
 羊堂專鷟
 本尊    釈迦牟尼佛 
 開山  

羊堂專鷟大和尚 総穏寺四世

 開基   大沼院殿清安常波大居士 
  大智院殿性應妙見清大姉 
 本寺   山形県465番  総 穏 寺
 現住職   佐 藤 智 明
 住所   山形県鶴岡市長沼字宮東50

沿  革

金龍山長雲寺は鶴岡市鍛治町(現陽光町)曹洞宗
興林山総穏寺の末寺にして本寺四世なる相州小田原の出身 羊堂専鷟
大和尚の開山である。
開山の年月日そのた事蹟は詳らかではないが御遷化なされたのは正保二乙酉年十一月十三日である。
御開山大和尚親しくこの地に錫を留め道場を建立せられしより春風秋雨三百五十有余年波乱曲折有りある時は寺宝一切蔵経の転売を謀られある時は什器、宝物の転売、ある時は浄土真宗本願寺派の乗する処となり転宗の恐怖に見舞われた時もあり為に檀信徒此の帰趨に迷いし事すらあり。

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伽藍
永代
供養墓
長雲寺
マップ
開 山 本寺 総穏寺第4世 相州小田原の出身  世寿六十有余歳 
二 世 白雲鯨天
三 世 單山刹傳
四 世 如山碧真
五 世 鳳巖鐵嘴
六 世 黙照智存
七 世 盛山存榮
八 世 秀峯全榮 長沼字下通 本間善四郎家にて出生  寛政四年伽藍を再建
九 世 大心屠龍 余目町廻館 641番宝泉寺に転住
十 世 法山智圓
十一世 希云旭龍
十二世 忍能活眼 長沼字中組 岩浪多郎右衛門家にて出生  立川町清川 歓喜寺に転住
十三世 源山慈門
十四世 一透關昶 文久元年辛酉年七月十七日鶴岡市般若寺へ転住  土蔵一棟建立 
十五世 中興智戒圓通 鶴岡市三日町槇町八百屋 半兵衛方にて出生  當山大庫裡を改築  本寺大書院 小書院の天井を張りたる功により中興を拝受す  大授戒会厳修
十六世 玉寶琢玄
十七世 無外亮山 羽黒町大字仙道 604番林昌寺九世
十八世 祖山關宗 鶴岡市般若寺へ転住
十九世 喚道大喜 本村三区内富樫嘉右衛門家にて出生 斎村勝福寺高善院より転住 鶴岡市福寿寺へ転住
明治三十四年四月十八日堂宇悉皆焼失
二十世 大成瑞賢 藤島町添川 新関五郎左衛門家にて出生
廿一世 中興大仙霊功 藤島町 佐藤専助家にて出生  大正二年 當山再建の大業を完成す  大正三年中興の免牘を拝受
大授戒会を厳修 大正九年 大梵鐘を鋳造 離れ座敷 台所新築  昭和四年経蔵(旧阿弥陀堂)移転改築  昭和九年 忠魂塔建立  
廿二世 大岳利雄 位牌堂完成  大梵鐘再鋳造
廿三世 大徹智岳 大授戒会厳修 参道整備 不老閣建設 位牌檀増設